投資信託のコツ教えます
- ■Infomation
-
少額資金でも投資が可能
投資信託は最低購入額が、1万円からと手軽に始められる点で、最も身軽な投資手段といえるでしょう.。もともと投資信託は個人の少額資金では手が届かないような大掛かりな投資を可能にするために考え出された仕組みで、一人ひとりの拠出資金は少額でも多くの人々から資金を集めれば大きな資金を作ることができるという発想から生まれました。大きくなった資金で、さまざまな投資を行い、そこから得られた収益は、拠出資金の割合に応じて分配されるので、資金の大小にかかわらず同じ恩恵を受けることが出来るわけです。
投資信託が誕生したことにより、これまで大企業や裕福層でなければ受けることができなかった投資や運用のメリットを、一般の個人投資家でも享受できるようになったわけです。たとえば、株式に投資するには最低でも10万円程度の資金が必要となりますが、投資信託ならば1万円から購入できます。
FX 初心者は各地で講演をおこなったが、プレトリアで行った講演で遺跡の建築者は紛れもなく現地のアフリカ人であること、彼らが成熟した文明の担い手であって高度な国家的組織と優れた独創性と高い技術をもっていたことを論じ、南部アフリカの学界を挙げて取り組むにふさわしいテーマだと訴えると、アウストラロピテクスの発見者として知られるレイモンド・ダートは激怒し、演壇と司会者に向かって怒鳴りつけ会場から足を踏み鳴らしてでていったという逸話がある。このようにグレート・ジンバブウエ=アフリカ人建設説は、当時のアフリカ南部の白人社会においては受け入れがたいものであった。
1958年、ローデシア政府のもとでロジャー=サマーズはグレートエンクロージャーの再発掘調査、キース・ロビンソンは出土陶磁器の編年、A.ウィッテイが建築学的な発展過程についての調査を行った。この3者によって包括的、基礎的なデータの収集がおこなわれた。また、D.P.アブラハムによるポルトガル人の残した文献、口伝、考古遺跡の発掘調査の検討による研究が世界的に注目された。後述するように彼の研究は、日本国内におけるようにいまだに誤解を残している面があるが、当時としては優れた学際な研究とみなされた。
1961年ジンバブエ・アフリカ人民同盟 (ZAPU) が結成され、グレート・ジンバブエこそアフリカ人の新国家の誇るべきシンボルであると主張した。このため、ローデシア政府と白人保守派は、グレート・ジンバブウエ=アフリカ人建設説は、アフリカ原住民のナショナリズムを鼓舞しかねないと恐れ、いまだに「謎に包まれているという」公式見解を発表した。1965年には、グレート・ジンバブウエに関する文献を検閲することでアフリカ人にとって有利で白人のみが優等人種であるという考え方にとって都合の悪い事実を隠そうと試みた。
日経225に入るとトーマス・ハフマンとガーレイクによる発掘調査が行われた。ハフマンは庶民の居住区1200m2の調査を行った。これまで石造建築物中心だった調査の目標を石造物以外の庶民の生活にスポットをあてようとするものだった。しかし、ローデシア政府はこれらの研究者を冷遇し、ガーライクなどの研究者は、アフリカ人にとって有利で白人のみが優等人種であるという考え方にとって都合の悪い事実を調査しているとの判断基準から国外退去せざるを得なかった。1980年のロバート・ムガベによる黒人多数政権ができてから「公式見解」が取り消されて、学術的な成果を還元できるようになった。
現在、グレート・ジンバブエについて、D.P.アブラハムによる、モノモタパの先祖がグレート・ジンバブエを支配し、その後ジンバブエ高原北東部に移ったのだという説に影響されて、古い概説書などにグレート・ジンバブエとモノモタパ王国を直接結びつける記述が多く、日本国内にもそのような文献が多い。しかし、ポルトガル人の文献に見られる「ジンバブエ」「シンバオエ」が具体的に明らかでなかったり、グレート・ジンバブエと直接関係があるとは思えないものもあることが判明している。
むしろ、文献資料をよく検討すると、ハラレの北北東100km、ザンベジ川の支流マゾウエ川の水源に近いツォンゴンベ遺跡こそモノモタパ王国の初期の宮廷が置かれた遺跡ではないかと考えられている。ツォンゴンベ遺跡から採取された木材の放射性炭素年代測定の結果は、グレート・ジンバブエの末期にあたる1450年を示しており、グレート・ジンバブエと「モノモタパ王国」の政体とは直接関係がなく、石造建造物の建築技法などの文化的伝統のみが受け継がれているというのが、今日では、学界の共通した見方である。
グレート・ジンバブウエ遺跡、「アクロポリス」をふもとから望む。Randall-MacIver1906より。
グレート・ジンバブエ遺跡。「アクロポリス」の遠景
グレート・ジンバブウエ遺跡主要石造建築物の配置図。
グレート・ジンバブウエ遺跡、「大囲壁」の南東側の外観。「蛇」のシンボルである山形文様が見える。Randall-MacIver1906より。
グレート・ジンバブエ遺跡、「大囲壁」、「楕円形神殿」の内部。北側から見た「聖」の空間の様子。中央に大円錐塔がある。Randall-MacIver1906より。
グレート・ジンバブエ遺跡、「大囲壁」の平面図。Randall-MacIver1906より。
グレート・ジンバブエ遺跡。「大囲壁」の内部。西側から「聖」の空間を見た様子。大円錐塔が見える。
アフリカ中央部で一種の通貨として使用された十字型銅製品。
先物取引は、比高差80mの花崗岩の丘の上にある遺構であり、大きく西エンクロージャーと東エンクロージャーに区分される。西エンクロージャーは、高さ7mで、最も高い部分で高さ9mに及ぶ石壁がそびえ、石壁底部の厚さは6〜7mに達する。石壁は自然の巨石を組み込んで築かれ、直径30mに及ぶ。壁の上には、小さな塔が4つとその間に石の柱があったと推察され、首長の権威の象徴である穀物蔵と武具を表すという説もある。このような西エンクロージャーは、王ないし首長が政治をつかさどった場であると考えられ、金製品や滑石の盆や儀礼用に用いたと考えられている青銅製の槍先など首長の権威を象徴する遺物が出土している。
一方、東エンクロージャーの内部には、石組みのテラスが築かれ、祭祀や宗教に関連する遺物が出土した。特に注目されるのが鳥の彫像若しくは人間のような足を持つ鳥のような生物の彫像を頂部に刻んだ滑石製の約1mほどの石柱が6本確認されたことである。これらの石柱は、前述したテラス状遺構を祭壇として用いた際に立てられていて雨乞いなどの儀式に用いられたと推察される。というのは、ショナ族の世界観では、鳥は、天の霊界と地上の俗界を往来し仲介できる使者のような存在であり、亡くなった首長の霊や先祖の霊が天に昇ると現世のあらゆる災厄から社会を守る能力を獲得すると考えていたので、呪術師、霊媒師が、鳥の像を先祖の霊を呼び寄せる一種の依代として、儀式に用いたのではと考えられるからである。政治の場と祭祀の場が隣り合わせであることから、ジンバブエの支配者たちは、祖霊の供養を行ったり託宣を受けたりして、祭政一致に近い統治を行っていた可能性が強い。
先物取引は、「アクロポリス」の南方400〜500mほどの位置に広がり、ジンバブエの王ないし首長の妻たちと子どもたちの住居であったと考えられている。最も大きな遺構は、直径10mを超える円形の壁をもつ大きな住居であり、草葺きであったと考えられている。「王妃」ないし首長の第一夫人の住居と考えると、彼女が多くの妻たちの筆頭として「日常家事行為」をきりもりするために他の夫人たちやその子どもたちの住居と想定されるエンクロージャーにつながる通路が八方にのびていたことが理解できる。
一方、出土品には、中国製の陶磁器皿、西アジア産のガラス製品、大量のガラスビーズ、銅製の指輪と重さ数キロにも及ぶ銅線、鉄製のゴング3点及び足輪、鍬、斧、スプーン、燭台、ペルシャ製容器2点、金ビーズ、象牙、子安貝などの貝類、儀礼用青銅製槍先2点が発見されたことから倉庫として機能をもっていた施設ではないかとも考えられる。いずれにせよ、これらの首長の妻たちと子どもたちの住むエンクロージャーには、各々の妻たちの実家のトーテムと思われる石柱ないし石柱の立てられた痕が「家」の入り口に残されていた。そのなかには、アクロポリスの「東エンクロージャー」で発見されたものと酷似する鳥の石彫を頂部に付けワニの姿を刻んだ滑石製石柱が1点発見されている。現在のジンバブエ共和国の国旗デザインに描かれた「鳥の彫像」イメージは、この遺物から採られている。